阿弥陀如来

愚者の自覚を

家庭にみ仏の光を

社会に慈しみを

世界に共生を

明るく 正しく 仲良く

 
 

浄土宗は2001年元旦 「21世紀劈頭宣言」を世界に向けて発表しました。
その基本とするはところは

1.愚者の自覚を
(己を省みて、己のいたらなさを知ろう)
2.家庭にみ仏の光を
(暖かい家庭を築こう)
3.社会に慈しみを
(優しさに満ちた社会を築こう)
4.世界に共生を
(共に生きる平和な世界を築こう)
  の四句です。

「共生」は「ともいき」と読みます。

三宝帰依の精神
仏 とは一番明るく心の覚めた人
法 とは正しく生きること
僧 とは互いに仲よく和合すること





宗祖
法然上人(法然房源空:ほうねんぼうげんくう)
本尊
阿弥陀如来
 
阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ
「南無阿弥陀仏」とみ名を称えて
人格を高め、社会のためにつくし、明るいやすらかな毎日を送り、
往生(西方極楽浄土に生まれること)を願う信仰です。
お経
浄土三部経(仏説無量寿経)(仏説観無量寿経)(仏説阿弥陀経)
宗紋
「月影杏葉(つきかげぎょうよう)」
宗歌
「月かげ」
月かげの いたらぬさとは なけれども ながむる人の 心にぞすむ
[意訳]
月の光と同様、阿弥陀さまの慈悲の光も届かないところはないけれども、それに気づこうとする人の心にこそ、注がれることよ。

浄土宗は仏教の宗派の一つで、法然上人(1133-1212)が1175年(承安5)に開かれました。
その教えは、阿弥陀仏という仏さまの「私の国、極楽浄土へ往きたいと願い、「南無阿弥陀仏」のお念仏をとなえたあらゆる命が臨終を迎えたとき、必ずそこへ生まれ変わるようにしよう」という誓いを信じて、その導きのもとお念仏をとなえ、悩みや苦しみのない極楽浄土――仏の国へ生まれ往くことを願うものです。

「南無阿弥陀仏」の「南無」とは、インドの言葉「ナマス」の発音を漢字で表したもので、「帰依(きえ)(心身を投げ出し、すべてを任せること)」や「絶対的な信頼」を意味します。つまり、「南無阿弥陀仏」ととなえることは、阿弥陀さまに信頼を寄せ、救い導いていただきたい、との思いを表明することになります。浄土宗の法要で必ず「南無阿弥陀仏」とお念仏をとなえるのは、この教えに基づいたものなのです。

宗歌「月かげ」

浄土宗 宗祖法然上人

専修念仏

阿弥陀仏の本願とは

遥か遠い昔、世自在王という仏様がいました。無限の過去53番目に現れた仏様です。
世自在王仏に1人の菩薩が誓いをたてられます。阿弥陀仏の前身である法蔵菩薩です。
世の中すべての民衆を救うため五劫もの長い間(五劫思惟)考え、とうとう48の誓願をたてます。

その最も象徴的なのが、18番目の誓願です。
『あらゆる人々が私の立てる極楽という国に生まれたいと心から願って私の名前を称えたとき、それが叶わないなら私は仏とならない』

名を改めて阿弥陀仏。ここに『阿弥陀仏の本願』が完全に達成されました。

浄土宗の開祖法然上人は「法蔵菩薩が衆生が浄土に生まれるための行として称名念仏以外の行を選び捨て、称名念仏一行を選び取られた文」として、これこそ最も重要な本願中の本願であると示されました。

念仏とは

18番目の本願実践のことです。それこそが「南無阿弥陀仏」と声に出してお唱えすることです。
法然上人は念仏はあらゆる人が実践できる易しい行であることから、称名念仏が最も勝すぐれた行であると示されました。

心には「阿弥陀様、私をお救い下さい」という思い。「阿弥陀様、このお念仏の功徳をご先祖様に捧げます」という思い。いろいろなな思いを「ナム アミダブツ」と心に念じて声に出すことが大事です。
念仏する者すべてをお救い下さる阿弥陀様の大慈悲心により必ずお救いいただけると信じて疑うことなくお唱えすることが大事なのです。

極楽浄土とは

浄土宗でいう極楽浄土とは阿弥陀仏の住む西方極楽浄土の世界を「極楽」「浄土」といいます。
およそ250億の仏国土から選ばれた仏国土で、西の方十万億の仏国土を過ぎた所にあります。

どのような場所か、阿弥陀経には次のように解説されています。

池には色々な色の蓮の花が咲き、良い香を放っている。
池の底は黄金の砂で覆われている。
自然や建物は黄金や七宝で出来ている。
妙なる音楽が流れ、色々な鳥が美しい声で鳴いている。
鳥のさえずりや、水や風の音はそのまま説法となり、極楽の人々はそれを聞いて仏を念じる

浄土宗の豆知識

願我身浄如香炉

焼香(線香)の仕方

お焼香の数は、3回とか2回とか宗派によっても考え方は様々ですが、浄土宗は普段は1回にしています。「一心に」とお焼香する気持ちを心一つにして1回に心を込め焼香します。

香を焚くことは、汚れた心を浄め、仏や亡き人に自分の真心をささげて供養するもので、香りのよいものを用いることが大切です。香の意味は、「諸仏を供養する」という気持ちの他に、「信心を運ぶ使い」ともいって、仏さまに献ずるだけでなく心身を清らかにするためにも焚きます。焼香する時は、先ずは香炉の前に姿勢を正し合掌し、一礼をしてから香合のお香を右手の親指(母指)と人差し指(食指)、中指の3指で香を軽くひとつまみし、この手を仰向けます。そしてこの右手に左手の掌を添え、これを恭しく額尾のあたりまでくるぐらい持ち上げ、そして香炉の灰の上にくべます。くべ終わりましたら、ふたたび合掌、一礼をします。

お線香も焼香と意味は同じです。「一心に」という気持ちで、一本の線香を真っ直ぐに立てます。
「願我身浄如香炉」「願わくは 我が身清き事 香炉のごとく」
この偈文は、日常勤行式の最初に出てくる偈文です。なぜ最初に唱えるかというと、お香がお堂や仏間を清めるからです。同時に仏様に供える最高の供物なのです。煙となって立ち上がるお香が、仏様を浄土からお迎えするのです。
ですから、香炉はいつも綺麗にしておきましょう。そして線香を立てる時は1本を真っ直ぐに立てましょう。

合掌の仕方

合掌は他宗教にもありインドの礼法の中で最も特色のあるものです。
その心は、仏に帰依する心、感謝と懺悔(ざんげ)の心が自然に身体にあらわれたものです。
インドでは右手は神聖な手、左手は不浄な手といわれその両手を合わせることは美しい心とみにくい心を一体にすることともいわれます。

合掌とは、言葉の通り掌(たなごころ)を合わせ十指を正しくそろえてかたく合わせ胸のあたりにぴったりと斜めに保ちます。
合掌の仕方にはいろいろありますが、浄土宗では右と左の手の指と手のひらを正しくそろえ、ぴったりと合わせる「堅実心合掌(けんじつしんがっしょう)」です。
「堅実心合掌」とは内にいだく拝む心が外に現れる姿というものです。手は胸の前で合わせ、指先を約45度の角度で仏さまの方に傾くようにするのが美しく自然な姿です。

数珠のかけ方

数珠の玉の数は百八顆を基本として、その半分の54、三分の一の36、4分の1の27などがあります。一連の数珠は(略式数珠)といって宗派問わずよく用いられていますが、浄土宗で正式に使用する数珠は二つの輪がつながっている(二連数珠)を用いることが多い。
この他に浄土宗僧侶は百八念珠、荘厳数珠も用いることがあります。また特別な数珠に百万遍数珠もあります。

浄土宗の二連数珠を是非用いてください。掛け方は図のように合掌した手の親指と人差指の間に掛けて、親指の後ろの方にたらします。合掌していない時には、左の手首に掛けるようにします。

数珠はもともと仏様を拝むとき、真言(陀羅尼)や仏様の名前(念仏)を唱えながら数を数えるための法具です。数珠を持ち念じることから、身を守る厄除けのお守りともいわれますので一人一人が自身の数珠を所持していることが大切です。

数珠は世界中の仏教ほとんどの宗派で用いられます。
その起源については、僧侶が日数を繰るための道具だったという説もあります。
キリスト教のロザリオについても、その形や名前が仏教に起源をもつともされています。

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